体重はみるみる増えていった。

お母さんにも隠れて食べていることがバレるほどに増えていった。


食べることが止まらなくなった。


病院でまた体重測定した時は、40kgまで増えていた。

先生も、「もう安心ですね」しか言わなかった。


お母さんも心配はしていたけど、安心した様子。


食べろって言われて食べるだけで、こんなにお母さん安心させられるんだ。

わたしはまた、歪んだ方向に進んでいくことになった……



それから食べ続けた。

どんどん食べ続けた。

食べることを止められなかった。

体重なんて気にしてられない。

欲のままにひたすら食べた。


友達に笑顔が増えたと言われた。

今の方が好きと言われた。

明るくなった、戻ったと言われた。

お母さんも治ったと安心しきっていた。



どんどん体重は増えて、秋には50kg、冬には60kg。

もうダイエットする以前より太っていた。

その頃からわたしのダイエットって何だったのだろうって考えるようになった。

太る自分を許せなかったはずなのに、今太ってる。

じゃあ、許すわけにはいかない。

自分の醜い姿に嫌気がさした。

なんで痩せたくて頑張ったのに、太ってるの???

なんで?なんで?なんで???


また病院に言って、食べることが止まらないと相談した。

先生の返事はまた呆気ないものだった。

「じゃあ食べるのやめなきゃ〜」


は?

意味が全くわからない。

前に食べろって言ったの、先生でしょ?

だから食べたよ?

そしたらこれだよ?

なに、責任取ってくれないの?

意味がわからない。

病院なんてそんなものか。

そんなに投げやりなのか。

意味がわからない意味がわからない意味がわからない。



わたしの過食は更にヒートアップした。



それから数日、お母さんの出すヘルシーメニューを頑張って食べた。

当時、1日500kcalの基準を定めていた自分にとってはかなり辛かった。

体重が増えてるかどうか気になって気になって仕方なかった。


その生活は1週間も持たなかった。


1週間後あたり。

耐えられなくなったわたしは、こっそりお小遣いで体重計を買った。

部屋で1人バレずに毎日体重を測った。


それからというもの、お母さんのメニューだと体重が増えてしまう…!と思い、お母さんに隠れて弁当を捨てたり、食べたフリをしたり、必死に体重を落とし続けた。


お母さんも流石に食べないことは気づいていて、かなり心配はしていたけど、わたしにはもう普通に食べるって事はできなくなっていた。


むしろ心配されることが快感になっていたのかもしれない。


35kgを早く切りたかった。

入院が少し楽しみになっていたほど。


病院で入院を決める日の前日の夜、体重は34kgだった。

心の中では、とても喜んでいた。


病院の日、先生の前で体重測定。

前日は脱いで測ったけど、先生の前は普通に服を着るので、図ったら35kgぴったりほどだった。


お母さんも先生も、体重計没収したのになんで減ってるの!?な反応だった。


入院決定かと思いきや、先生の反応は意外なものだった。

「もう少し様子みましょうか。」


は?って感じだった。

入院は?入院食で外出れないならゆっくり普通に戻れると思ったのに?

そのために痩せたのに???

頭が混乱していた。


その日から先生とお母さんで話し合って1日1200kcalメニューになった。

わたしも吹っ切れたのか、ちゃんと食べた。

1200kcalなら太らないと言われたから、仕方なく食べた。

代わりに急に増やすのも良くないから1200kcalをあまり超えないようにとも言われた。


しかし、それなりにちゃんと食べると、もっと食べたい欲が出てくるもので……


それからお母さんの厳密なカロリー計算とは裏腹に、わたしはお母さんに隠れて食べる事を覚えた。





とある日のこと、拒食症という言葉を知った。

それまでも聴いた事はあったけど、物理的に、食べたら吐いちゃうみたいな、胃の弱い人のことだと思っていた。

しかし現実は全く違うのだ。


自分に当てはまる項目がいくつかあって、不安になってYahoo知恵袋で質問してみた。


授業中、たまたま質問の返答を読んでいたら、驚きの回答だらけだった。

「もうおかしくなってるよ」

「今すぐ病院にいけ」

「治療すべき」

「普通に生活してる方がおかしい」


何が?何がおかしい?

わたしはただ、痩せたかっただけ、なのになんで病院???

気が狂いそうだった。意味がわからなかった。

自分は正常だと思っていた。

これだけの人に病院行けと言われて苦しくなって、授業を抜け出して保健室へ逃げた。


保健室で泣きわめいた。

先生にも打ち明けた。

先生は優しく、「一緒に治療しよう?」と言ってくれた。

でもわたしは自分が病気だなんて、まだ考えてもいなかった。

当時38kg、そういえばダイエットにゴールを作ってなかったなぁとこの時に気づいた。

でもこれ以上太るわけにもいかなかった。



確か6月頃だったと思う。

学校でちょっとした遠足みたいなものがあった。

外でみんなでバーベキューをした。

わたしは食べる時は常にカロリミット黒烏龍茶を持っていて、当時のわたしはそれがなければ何も食べれなかったけど周りから見たら多分相当おかしかっただろう。


バレないようにこっそりサプリメントを飲んで、バーベキューを楽しんでいた。

帰り道、一人になった後、まだ食べ足りないなぁ……と思った。

まぁどうせバーベキューで体重増えてるだろうし、お母さんからお小遣い貰ったし、今日くらい自分甘やかしてもいいよね!と思った。


それからコンビニ、カフェ、ファミレス、いくつもハシゴして、今まで調べていた美味しそうなもの、全部買って全部食べた。

お金がなくなって、ICも使い切るまで、すべて食べ物に費やした。

総額確か5000円ほど。

いくら食べても満足しなかった。

気持ち悪くなってきた頃、急に我に返って涙が出てきた。

わたしは何をしてるんだろう。

体重今相当やばい。

なんでこんな事にお金を使ってしまったんだ。

わたしはやっぱり、おかしいのか…


その日の夜、親に相談して、次の日に病院行くことに決まった。



一番近くの精神科にお母さんと相談しに行った。

しかし返事は呆気ないものだった。


「とりあえず食べなきゃ」

「35kgを切ったら入院ね」

「入院したら何も出来なくなるからね、食べなよ?」

「とりあえず体重計はお母さんに没収してもらうね」


当時は、まぁ食べなよって言われるなら、食べるけど……みたいな感じだった。体重計没収は意味わからなかったけど。


お母さんも泣きながら食べて、食べてって言ってて、本当に胸が苦しかった。

食べようって思った。


その時は……だが



高2の終わり頃、体重は40kgほど。

いろんな悩みがあること、部活が忙しいこと、それは多くの人が気づいていたから、悩んで痩せてるんじゃないかと心配された。

別にそういう訳では無い、ただただ痩せたかった。減っていく体重だけがわたしを元気づけていた。


その頃から、痩せ願望はさらにヒートアップしていた。

昼の弁当をかなり小さくした。

食べ放題に行くと、必ず調節した。

とりあえずもう太りたくはなかった。


わたしは男の人と付き合ったことがない。

そもそも男の人が苦手。

男の人は可愛い子が好きだと思う。

わたしは可愛くない。

だから、わたしに話しかけられて嬉しい人はいないと思う。

だから基本的に避ける。

あとは単に、慣れてないから緊張して顔が赤くなる。


彼氏が欲しいかって言われたら、憧れてはいた。

でも、わたしなんかが欲しがるなんて、そんな権利自分にはないと思った。

基本的に男の人はわたしに話しかけない。多分可愛くないから。

だから痩せて可愛くなりたかったってのがあったのかもしれないな…



高3の春。この頃からわたしの人生は大きな転機を迎えることとなる。


まず、脳がもうおかしくなっていた。

自分が気づかないうちに、自分はおかしくなっていた。

痩せること以外、食べ物のこと以外、何も考えられなくなっていた。


部活のことも、友達のことも、勉強のことも、何もかも後回し。

休み時間は常に食べた物のカロリー計算、コンビニの新商品のチェック、1週間の食事計画、食べログの書き込み……やる事は山ほどあった。


休み時間ずっと紙を見つめてた人間が、休み時間ずっとスマホと対峙するようになった。

授業中も勉強せずにカロリーばかり調べていた。



自分がおかしいと気づいたのはこの頃だった。





高2の秋の頃、体重は順調に落ちて45kgほどだった。

周りからも痩せたねって言われるようになってきた。


その頃からますます色んな悩みが増えてきた。

部活の人間関係、受験、強くなる痩せ願望。

そんな時の相談相手は常に部長だった。

部長は凄い人だった。みんなから慕われて、クールな感じが好きという人も多くて、まさにカリスマだった。

彼女にだけはわたしも色んなことを話せたし、部活のこともわたしの気持ちもちゃんと分かってくれるのは彼女だけだった。


高2の冬、とある日のこと。

色んな悩みが遂に爆発したみたいだ。

授業中、急なフラッシュバック。

殴られた日々、お母さんの言葉、そしてナイフ。

死にたいって久しぶりに強く思った。

死にたい、なんで生きてるんだろう、今すぐ死にたい……

殆ど休んだことなかった部活も、授業も、全部投げ出して家に帰った。


部屋で一人でずっと泣いていた。

ただただ泣いていた。

幸せを知らなければ、こんな苦しみもなかったのにななんて考えながら、ひたすら泣いていた。

そんな時、部活を終えた部長からLINEが来た。

「大丈夫?」

ああ、わたしのこと、忘れないでいてくれる人もいるんだなぁ。

部長になら全部、話してもいいかなぁ、そう思った。


今までいじめられていた事、死にたいとずっと思ってたこと、すべて告げた後、部長は、ずっと友達でいると誓ってくれた。

それはわたしにとって、一番の励みになった。


それからしばしの間は精神は安定していて、フラッシュバックするようなこともなく生活できた。





でも幸せの中にいると、変化にも気づきにくいものだ。

そう、わたしの根本的なものは何も変わってない。

周りが変化したところで、自分の根本的なものは何も変わらない。

それに気づくのが遅すぎた。

自分の中の自分の知らない所でついていた傷は、気づかないうちに広がってるもので…



それは高校1年生の冬だった。

夕飯がカレーだった。

食べ盛りの高校生。カレーは特に大好物。

特に何も気にせず大盛りおかわりしていたら親に注意された。

「最近食べすぎじゃない?」と。


うーん、言われてみればそうだなぁ。

決して痩せてる方ではないし、むしろ太めか……

体型なんて気にしたことなかったから、そのお母さんの言葉は凄く刺さった。

よし、ダイエットを始めてみようと決心した。

当時55kg。まぁ、普通よりかは太め。


わたしはそれがこの先の人生で一番のターニングポイントになる事を、まだ知らなかった。


ダイエットは順調だった。

意外とハマると抜け出せないタイプで…しかも頑固。

数字が目に見えて減っていくのが単に嬉しかった。

夕飯を抜くことから始まったけど、元から結構太っていたからかそれだけでもかなり落ちていった。


高校2年になる頃。当時体重は50kgほど。

わたしの学校は高2と高3の間はクラス替えがなく、高2の時のクラス分けは卒業にも関わる大事なクラス分けだ。

とてもドキドキしたけど、クラスはとても良かった。

まぁ、うるさそうなクラスではあったけどw


しかし高2のわたしは、あまり自分では変化に気づいてなかったけど、凄く高1の頃と違ったみたいだ。


まず部活が忙しかった。

吹奏楽部で、パートリーダー。そして係を4つほど兼任して。

部活の仕事で追われる毎日だった。

休み時間も譜面と格闘して、演奏する曲を考えたり、楽譜コピーしたり、パンフレット書いたり…

とにかく休み時間は大体席に座っていた。


だからか、物凄く静かな人だと思われていた。

高1で同じクラスだった人からは物凄く心配されたほどだ。

でも考えることが多すぎて、周りに構ってる場合でもなかった。

正直勉強も殆ど手付かず。自分のパートのこと、部活全体のこと、そして自分のこと(主に体型)、頭が常にぐるぐるしていた。


もちろんのこと、部活では結構上の立場ではあった。

部長とは本当にいっぱい話し合った……

後輩からも慕われる立場で、期待は裏切られなかった。

負けず嫌いの性格もあり、1stの位置もあまり譲りたくないタイプだった。



今思うと、当時のわたしは常に完璧でいたかったみたいだ……





これはわたしが高校生になってからの話



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高校1年生、高校は公立の自称進学校。一応独自入試だったけど、そこまでって感じの、微妙な位置。

頭もそこそこ。良くも悪くも無く、平凡な人間。


それがわたしだ。


でも、高校1年生の生活は本当に楽しかった。

要するに高校デビューってやつだ。

クラスの派手目な子たちとつるんで、いつも騒いでいた。


高校デビューになぜ至ったか。

それは、高校が中学とは全く違ったからだ。

この高校は、わたしの元あった概念を大きく覆してきた。


その大きな理由として、それなりにみんな頭がよかった。

一応進学校だし、それなりのレベルの人達が集まってると、それなりに人間性が優れてる人も多い。

中学のジャングル感があまり無い。


それが、ただただ幸せだった。


殴られない日々があるものだと初めて知った。

死ねって誰からも言われない世界なんて、初めて知った。

自分の持ち物が、他人に汚されたり壊されたりしない、平等に扱ってくれる、そんな世界があることを、それまでのわたしは知らなかった。


高校に入って初めて、自分は狂っていたんだなと思った。


わたしは常に玩具だった。

殴られれば喜んでくれる。

惨めだと笑ってくれる。

わたしは別にイジメとか、そんな風に感じた事はなかった。

人の玩具であること、それが自分の生きる意味だと思っていた。


ドMと言われれば、まあそうかもしれない。

殴られるのが心地よかったのかもしれない。

それが生きる意味になるのなら。

それで喜んでくれる人がいるなら。


でもわたしの高校はそういうことが一切無かった。

最初は不安だった。なぜわたしに死ねと言わないのか……

でも徐々に普通の幸せを実感するようになってきて、本来の幸せを知る事が出来るようになった。


自分自身にナイフを向けたりする事も、高校に入って極端に減った。


わたしの高校1年生は、そんな幸せな日々だった。