"絶対的デブス"



わたしは自尊心が極めて低い。


これはいつからだか分からないけどかなり昔からのように思う。


特に高校入ってからは自分の"見た目"に過剰に自信がなくなった。



人から貰う"可愛い"って、どのくらい信じるのが正解なのかな。


自分が比較的可愛い方だと自分でも思ってる人は人から可愛いって言われるのを素直にありがとうと受け取れるのだと思う。


わたしはそうではない、絶対的に外見は可愛くないタイプの人間だし、自分に自信なんて欠けらも無いのでそういう言葉を一切本気では受け取れない。


可愛いと、言われないわけではない。


でも明らかに、お世辞ってのが分かる。


まず可愛いって言葉をわたしにかける人というのは限られていて、

①それなりに仲の良い人

②わたしが常に精神的不安定な人間で外見に囚われていると知っている人

③女性

この3つの条件を満たす人のみしか言ってこない。すなわち、わたしを安心させる為のお世辞であるという事が分かる。


人の言う可愛いが本当に外見だけの絶対的可愛いを示す場合ってのは、初対面の、初めて話す人のみだと思う。


初めて会う人に可愛いと言われることなんてわたしには無いし、そもそもナンパも痴漢も受けた事ないレベル。



いや別に、わざわざブログ1本ひたすら自分がデブスだと語るつもりは無い、今のところ自己否定ばっかでごめんなさい。



かつて、わたしは周りの友達が自撮りなどをTwitterにアップしていたのを真似して、リアルの友達が殆どいないTwitterのアカウントに自撮りを投下していた時期があった。


その時、全く知らないFF外の男性の方からいきなり、デブ、ブス、死ね、目が汚れる、とのリプライが来た。


そこで改めて気づいた、客観的に見た自分の不細工さに。本当に、ブスなんだなぁわたしって思った。


可愛いを殆ど信じれなかったから世間的評価が分からなくて多分自撮りを投下していたのだけど、わたしの求めていた、初対面の人からの絶対的評価が来て、確信を持てた。

わたしは、確実な、デブスだと。

まぁ今より15kgも太っていた時期だったから当たり前っちゃ当たり前なんだけど。今でもデブスに変わりはないけど。


もちろん、仲の良い人からの擁護のリプも同時に来た。気にするなと、可愛いよと。いやそんなの信じれるわけないじゃない。初対面の人からの評価こそ絶対的なのだから。


それ以降はもう本格的に人からの可愛いを信じなくなった。わたしは絶対的デブスだと謎の自信を持っていた。もちろん可愛くなる努力とか痩せる努力はしているつもりだけど。可愛くなりたくてもいくら頑張っても絶対的デブスはわたしの中で確立されていて、揺るがない。


それは今でも変わらないのだけど、そんなある日、それが少しだけ揺るいだ時があった。



わたしがずっと大好きなとあるアーティストさんの、ハロウィンパーティーイベントに行った時のこと。


そのハロウィンパーティーでは仮装コンテストが開かれる為"仮装"が絶対条件で、デブスのわたしもそれなりにデブスを隠せるよう仮装して行きました。大好きなゲームのキャラクターに。


そしてなんと、上位5名に選ばれてしまったのです。それだけでもかなりびっくり。


選ばれた人は壇上に上がらないといけないんですけど、まぁ人前の苦手な根暗デブスのわたしにはハードルが高かった。


壇上では1人1人軽いインタビューがあり、わたしの順番になった時、大好きな、わたしの大好きな憧れの男性アーティストさんから、驚きの一言が。


"可愛い"と。


あれ、いや、わたしは絶対的デブスであり、彼は有名人だ、ただのファンサービスの一環である、そんなことはもちろん分かってる。


でも、その時は、純粋に、本当に、心の底から嬉しかったんだ、大好きな人から、可愛いって言ってもらえて。

仲の良い女性からではなく、大好きな、男性からの、可愛いだったから。


まぁ初対面ではないし、もしかしたら、彼はわたしのことを知っているかもしれない。

かつて1回イベントでそこそこの至近距離で話してるし、名乗ってるし、名前特徴的だからいじられてるし。

だからと言ってわたしがこんなに精神的不安定で外見に囚われている事を彼は知っているかと言うと知らないであろう、わたしがそういう人間だから気を使ってなんて事ではないだろう。


あくまで、女性だから、可愛いって言ってあげよう程度のものだとは思うけど、そうやって普通の女性として扱って貰えただけで、男性との関わりが殆どないわたしにとっては嬉しかったんです。


このハロウィンパーティーはその前の年も行われていたし、多分次も行われる。毎年仮装が条件。


デブスでも、仮装はしていいのだと。来年も、頑張ろうって、可愛くなって絶対また壇上に立ってやるって、思った。



その時わたしは彼に、生きる権利を貰った。

外見に囚われ、デブスである以上自分に価値はないと思っていたけど、彼は認めてくれた、自己満かもしれないけど、そう思った。


いやそれほどに、わたしの事を認める男性なんていないんですよ。影薄いデブスは目にも入らないでしょうし。



ありがとう、秀太くん、あなたのおかげでわたしは前を向いて、デブスに変わりはないけど可愛いを目指して前を向いて、進めるようになりました。


今も毎日気持ち悪くなるほど食べ物を詰めたり薬飲んだりそして断食の繰り返しで体重の増減は凄まじいのだけど、ちゃんと、可愛くなるよ、頑張る、次のハロウィンに向けて。



LOVE & HATE



なぜ人は人を憎むのか

なぜ人は人を愛するのか

わたしは多分、その気持ちをあまり理解してないんだと思う。



わたしには嫌いな人がいない。

そしてあまり人から嫌われるタイプでもない。

これは別に自慢ではない。

人を嫌いになれない事、それはつまり、人を心から愛せないのと同じだ。



わたしはこの世のLOVEとHATEは常に釣り合っていると考えている。

好きな人がいる人は嫌いな人もいる。

誰かを心から愛していれば、愛する人を傷つける者を嫌うのも当然だ。


よく、大切な人を守る為にとか、守るべきもののために生きるとか、そういった曲とか詞を目にする。

わたしはそういう言葉が好きではない。

共感できない。


誰かを守る。それはすなわち、誰かを敵にする事。

わたしは、友達を傷つける人がいたとしても、その人を憎むことが出来ない。

だから友達も、大切な人も、できない。



誰も嫌いになれないし、誰も心からは愛せない。

それと同時に、誰からも特に嫌われないという事は誰からも特に愛されていないのと同じ。

もしかしたらわたしがあまりディスを受けないだけで心の中で凄く嫌ってる人もいるかもしれない。もしそういう人がいたとすれば、申し訳ないのと同時にそれはそれで幸せなのだが。


皆、何故かわたしに優しい。

優しさはよそよそしさと比例する。

わたし自身、他人に対してそう接するからであろう。

別に嫌なわけではない。わたしはそれに凄く感謝している。その関係で十分満足している。

だから逆に、距離を縮めようとする人を反射的に離そうとしてしまったり、そうすることで嫌われてると思わせてしまったりする。


ごめんなさい、わたしはこういう人間なんだ。



わたしが学生の頃、通信簿によく書かれていたのは、明るい、笑顔が多い、友達想い、優しい。基本この4点。


前半2つは普段のネット上のわたしからはあまり想像されにくいと思うが、実際友達は多い方であったし、人を笑わせるのも得意だった。

その代わり、わたしはそういう自分をあまり好きではない。

人といる時の自分が好きじゃないのだ。

人といると、自然と自分は笑顔を作るし、明るい人間を演じようとする。実際楽しいから笑ってしまうんだけど、楽しいと大事なものを見失いそうで怖いんだ。

人といる時はいわゆる躁状態である事が多い。わたしはどちらかと言えば暗い人間だし1人でいる時の方が自分らしく自由にいられる。


逆に後半2つはわたしが唯一自分の中で自信をもてている部分だ。

優しさは自分の誇りであるしそれだけは何があっても忘れないようにしていたいとずっと思ってる。

高校の頃、カウンセリングの先生に"こんなに優しい人は初めて出会った"って言ってもらえた事があって、その言葉はずーっと胸にあるし、本当に嬉しかったし、優しさこそがわたしの取り柄なのではって思えた。



優しさを誇りに生きてきたら、今のわたしが出来たのだ。

誰も嫌わない、愛せない、愛されない代わりに、憎まれない。


もしかして、わたしになら、世界の全ての人達に均等な愛を与えられるのではないか


そう、最近思った。



誰かを愛してしまったら、きっと誰かを傷つけてしまう。

誰か特定の人に心からの愛を誓わない代わりに、愛に飢えている人に愛を与えられる。



単刀直入に言おう。


わたしは神になりたい。(大真面目)



世界中の人々に、均等に愛を与える聖人君子でいたい。



誰からも愛されない覚悟はできている。

友達がいなくてもずっと1人でもいい。

わたしは幸せになれなくてもいい。


誰かを救うこと、それがわたしの生きる理由であり幸せだから、そうやって生きていたい。



ただ1つ、誰からも愛してもらってないと言いつつ、逃れられない愛がある。


それが両親だ。


両親からはちゃんとたんまり愛情を貰ってしまっている。


愛されれば憎まれる。


代償は、自分自身だと思う。


両親から愛されてる代わり、自分自身が自分の事を憎んでいる。


わたしは愛を信じられない人間であるが故に、愛されているから信用出来ない。

それは両親であっても同じ。


いつか自分の事を憎まなくなったら、両親の事も信じられるのかもしれないな。



とにかく両親から甘やかされてる今は何も出来ない。


1人旅にでも出てみようか。


世界中を回って、色んな人と関わって、色んな人の話を聞いて、そうやって生きていくのも悪くないよね。


まぁお金がないので現実的ではないけど。



うん、神になるにはお金が必要らしい。


とりあえず、お金をどうするか考えよう。笑


日記



10/20、SKY-HI台湾RAG、日高さんとのツーショット

10/31、Shuta Sueyoshiハロウィンパーティー、仮装での参加

この2日の為に、少しばかり拒食生活をして、体重を落とした。最近落ち着いた生活が続いてたから久々だった。


案の定、終わってから過食の日々がやってきた。止まらない。


あぁ、あの時の、生死の狭間でさ迷っていた地獄の日々みたいだ………


しかしあの時に比べ、今は罪の意識が減った分、精神的負担は少ない。

そう、今はクレジットカードがあるから……。あの時はお金がないのに過食欲に勝てなくて、盗みを働いたっけ。


どっちにしろ、お金は使い放題ではない、借金してることと同じなんだから、悪い事なのだから……ダメなんだけど…………


ねぇ、悪いのは、わたし?病気???

わたしが弱いから?意志が弱いから???

ねぇ、わからないんだ。



毎日のように、普通ではない量の食事。バランスの欠かけらも無い食事。ゴミの山を見て後悔する日々。


そして下剤を使い無かったことにする。


それがわたしだ。わたし達の生き方だ。



わたし達摂食障害は、普通の食事ができない。

0か100の世界で生きていて、拒食するか、過食して排出して(嘔吐や下剤)無かったことにするか。

拒食の時は場合に応じて食べるふりをしなきゃいけなかったりするから、食事するふりして食べ物を捨てたりする。

過食しても無かったことにする。

どっちにしろ、食べ物を無駄にする悪人だ。


普通の人には、理解してもらえない。

過食嘔吐の子とかは、親からもモンスターだと言われるくらい。

食べ物を粗末にするなんて最低ですよね。

でも、そうしないとダメなんです。

そうやって生きている生き物なんです。


盗みを働く子も多くいる。カショオも今物凄く増えてきてる。悪でしかない。社会的に悪でしかない。

でも、そうしなきゃいけない。

なのに誰からも理解してもらえない。

ただ悪だと、否定される。



ねぇ、悪いのはわたし達???



ダイエットしないと、痩せてないと、認められない、認めてもらえない。

痩せてないと鏡が見れない、自分に自信が無い、好かれない。

痩せなきゃ、太っていたら、価値がない。


食べなきゃ怒られる。食べ物を無駄にしたら怒られる。でも太ったら嫌われる。だから食べて無かったことにする。そしたらモンスターだと言われる。

どうしたらいいの?どうやって生きたらいいの?


そうやって歪んだ世界で生きていく中で、価値観も歪んでいって、普通の人とはもう同じ思考回路ではいられなくなっていて。


一緒に食事する相手が自分より少ない量しか食べてなかったら嫌だ。

周りで自分より痩せてる人がいたら、その人を越さなきゃいけない。

誰かがダイエットしてるのを見ると嫌悪感に襲われる。

周りが全員自分より太っていてほしい。

自分が1番痩せていたい。

健康とかどうでもいいから骨になりたい。


それがわたし達。


自己中だとよく言われる。意味がわからないと言われる。傲慢だと言われる。


何故こんなに狂った思考回路になってしまったのか、わたし達にも分からないんだ。


でも、痩せなきゃ、その一心なんだ。



分かっては、くれませんよね。


痩せたくて、可愛くなりたくて、ダイエットして、頑張って、頑張りすぎたら、摂食障害になって、いつの間にかこんなバケモノになっていて。



悪いのは、わたしですか?病気ですか???社会ですか?????



誰も悪くない


誰のせいにもしてはいけない



わたしは、苦しい。


生きているのが苦しい。



だから、同じ仲間を、


同じ苦しみを抱く仲間を助けたい。



どうか、摂食障害に優しい世界を



そしてどうか、ダイエット至上主義が無くなり、摂食障害が1人でも減るように




苦しくても、生きなきゃ

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結局大学は、やりたいことと違うという理由と、やっぱりまだ太っている自分を見せたくない気持ちが強くて、行けなくなってしまって、途中で辞めた。


でも大学を辞めて気づく事は本当に多かった。


人生についてすごーくいっぱい考える時間ができた。


死にたいって思う事はまだまだあるけど、

他人はまだ信じれないけど、

食べ物の話や体型の話一つ一つにまだ敏感になっちゃうけど、

それでも、前より全然いい。


何より人に優しくなれた。


摂食障害はほぼ治らない。

不知の病と言われる。

これから先も治ることはないのかもしれない、まだ普通に3食なんて全然できないけど、摂食になったおかげで知る事は多かった。


Twitterで病み垢的なものを作って呟いていた時、本当に色んな人と繋がって、色んなことを知れた。


まず、人の相談に乗ることが増えた。

死にたかったけど、死ぬことをやめたわたし。わたしにしかできないアドバイスはあると思った。

何人かの子を救うことができた。

色んな人から感謝してもらえるようになった。

それはわたしの自信に繋がった。


そして摂食の人の気持ちは摂食にしか分からない。

拒食症はただ食べれないんじゃない。太ることの恐怖や、吐かずにはいられない気持ち。それは摂食になった人にしか絶対わからない。

過食の恐怖や罪悪感なんて尚更だ。


わたしは元からの嘔吐恐怖症があり、非嘔吐過食タイプだったけど、カショオ(過食嘔吐)の人とかのことも良く知れるようになった。


摂食は今、日本ですごく増えてる。

ダイエット番組が増え、モデルさんはみんな細いし、ダイエットしてないって女の子の方が少ないくらい、ダイエット文化が広がってる。


ダイエットは本当に危険。

いくらポジティブに考えても、やっぱり摂食にはなりたくないもん。今すぐにでも治したいもん。


1人でも多くの人に摂食の恐怖を知って欲しい。

ダイエット文化なんて、直ちにやめてほしい。


それがわたしの切実な願い。


未だにダイエットする人は心に1枚壁を置いてしまう。

本当に、ダイエットなんてしないで、痩せないで、誰かが少しでも痩せるだけで怖くなる。

どうか同じ道を歩まないで。


健康的に、不健康なダイエットがこの世からなくなりますように。


摂食障害がこの世からなくなりますように。


わたしはこれからもその為に生きていく。

世の中の摂食の子達に希望を与えたい。

その為に努力する。



そして日高さんに、一生かけて感謝を伝えていく。

部長にも同じく、感謝を伝えて行きたい。

(因みに部長とは今でも頻繁に会って一緒にAAAのライブに行っています)


わたしにはまだまだ未来がある。

やりたいこといっぱいある。

まだ、死ぬのは早いなと、思った。

10



でもそんな時でも、趣味はあった。

実は部長がずっとAAAっていうグループが好きだってこと聞いてたから、興味本位で曲を聴くことはしていた。

そしたら結構ハマってしまって。

過食して死にたい死にたいいいながらも、夜はAAAの動画見たりとかしていた。

唯一の楽しい時間ではあった。


高校のカウンセラーの先生は、わたしに趣味が出来たことをとても喜んでくれた。

ライブ行ってみたら?とか、AAAの為に生きるのも手じゃない?とか。

流石にそれはないでしょwって当時は笑い飛ばしていたけど。


Twitterとかを漁っていたある日、AAAの中のラップ担当の人のソロ活動のライブが生配信されるということで、丁度時間もあったし見てみようと思った。


わたしは與くんと秀太くん推しだったし、そこまで興味は持ってなかったのだけど、まぁ時間あるし程度で見てみた。


これが本当に、人生の転機だった。


見終わった頃には、もう涙が止まらなかった。

なんだろう、言葉にできない気持ち。

生きることを、誰も肯定してくれてないと思っていたけど、この人はちゃんと肯定してくれてるって思えた。

初めて、信じることができる人に出会ったと思った。


今まで、全ての人を信じれなかった。

可愛いと言われても、わたしは可愛くないから、この人もペテン師か程度に思ったし

ご飯食べよう?って言われれば、この人もわたしを太らせる気かと思ったし

いくらわたしのこと好きって言ってくれても、どうせ嘘だと思ってたし

それでも、日高さんだけは、信じれた。

生きてって言われて、生きようって初めて思った。


そしてこの人に直接会いたいと思った。

会うまでは、死ねないなって思った。


なんだろうこの感情。

人生どうにでもできる。確かにそうだ。


その日から全てが変わった。


まず次の日に学校に行った。

部活に顔を出した。

定期演奏会に出ることを部長(この時点ではもう部長じゃないけどねw)に相談した。


みんなどうしたの?って言ってくるくらい、わたしは変わっていた。

なんだろう、どうしてこんなに、生きようって思えるんだろう。

謎で仕方がなかった。


それからは順調に定期演奏会にも出て、大学も入学して、それなりに普通に暮らせた。



日高さんには本当に感謝してる。



この頃は学校には殆ど行ってなかった。

もう65kgまで太った体。

誰にも見られたくなかった。


勉強なんて全くできなかった状態だったから、大学は高2までの成績で推薦で決めたのだけど、正直大学を選んだのは拒食期の時で、食べ物のことで頭いっぱいの時期で……

自分のやりたいことなんて食べ物以外思いつかなくて、食べ物系の学科を選んでしまった。


だから過食症となった今、大学すらもう行きたくなかった。


学校に行く意味は何一つないし、見られたくないし、ほとんど行かずに家で過食とアルバイトの日々。


しかし、部活はあった。

3年生は定期演奏会で部活に戻る予定だ。

でもこんな身体で、正直ステージなんて出たくないし、

部活はなんだかんだ大好きだけど、衣装はもう着れないだろうし……

定期演奏会は出ないつもりでいた。

よって部活も顔を出してなかった。


殆ど家にいるだけの日々。

家にいても食べることしかしない日々。

生きる意味なんて、何一つなかった。

死にたい。殺したい。

それしか考えられなかった。


今日過食して明日死のう、なんて何度考えたことか。

リストカットオーバードーズ、自殺計画、そんなの毎週してた。


家出もした。結局友達の家に泊めてもらうことになったけど。


もう、無茶苦茶な日々。

生死の狭間で生きている感じ。

常に死ぬことしか考えていない。

でも体は一応生きてる。

そんな感じだった。



何も分かってくれない先生や、治りきったと信じてるお母さんや、自分の惨めさや、色んなことにただただイライラした。

そのイライラは更なる過食に繋がった。


毎日3000kcalを超える食事。

お金はいつもピンチ。

ある日は冷蔵庫を空っぽにしたほどだ。


とにかく止めたかった。

これ以上体重を増やしたくなかった。

ネットで過食の治し方を必死に調べるけど、更に過食したくなるばかりだった。


たまたまネットで精神薬のサイトを見ていた時だ。

拒食の時、先生が処方してくれていた薬。ジェイゾロフト

わたしは向精神薬だと飲まされていた。

そこまで気分が良くなる感じはしてなかったけど、飲むって行為が安心させた。

それが、食欲増進の作用があることを、その時ネットで知った。


あぁ、最初から、みんなはわたしを太らせるつもりで。

もう誰も信じれなくなった。



わたし、お母さんが痩せなよって言ったからダイエットして、そしたら拒食症になって、お母さんが食べなよって言ったから食べて、過食症になって……


お母さんがいなければよかったのに


その時は本気で殺そうと思った。

今まで、誰にでも優しいと言われていたわたしだけど、初めて人を殺そうと思った。


あー、これでわたしがお母さんを殺したら、周りからそんな人には見えなかったって言われるんだろうなぁ…

幻滅されるんだぁ…とかずーっと考えていた。


お母さんへの苛立ちはまた、過食の引き金となり、ヒートアップさせた。


とある日のこと、本気で過食をやめたくて、お金がなければ何も買えないということに気づき、お金を使いきった。

所持金がゼロになれば過食は止められると思った。

しかし自分の欲望はそんなものじゃ収まらなかった。


3日目ほどで、過食したくて仕方なくなった。

家にあるものも、食べたらまた親にバレるし、でも食べなきゃいられない。どうすれば……

考えたのは、盗みだった。


お父さんの部屋にこっそり入って、1万円を盗んだ。

それで過食をした。


罪悪感、虚しさ、過食しても満たされない心、色んなものが襲ってきた。


わたし、お金がなきゃだめだ。

このままじゃきっと、万引きする。

盗みはもうしたくない。


アルバイトを始めた。