お知らせ

 

 

皆様にお知らせがあります。

 

 

この度、、、

 

 

わたしは、、、、、

 

 

 

 

 

 

障害者手帳を取得いたしました!!!!

 

これでディズニーに安く行ける!!!!!!!!

 

 

いやそこではなくて、何の障害かってとこなんですが、

わたしは社交不安障害、気分変調症の2つの病名から精神障害者手帳を取得しました。

 

元々わかってた病気だし、病院にもずっと通ってはいたのですが、改めて手帳を手にすると自分が障害者であるという事実が重く感じられる、、、

 

前職で適応障害を発症して以降、働く事への不安が本当に大きくて、今までどの仕事も長く続かなかったしもう働くの無理なんじゃって思いつつ転職活動を繰り返していたのですが、

 

やっぱり面接で退職が多い事を毎度毎度突っ込まれて、メンタル崩して退職って言ってしまうと採用して貰えないだろうから誤魔化してきたんだけど、嘘つくの下手だから誤魔化しもダメダメで。

 

もう隠したくないな、それでも雇ってくれてわたしのこと理解してくれる職場で働きたいなって考えた結果、

障害者雇用枠での就職を目指すことにしました。

 

別に障害者手帳持ちだからって日常生活にそんなに変わりはなくて、

ただ昔からある不安感、人が多い場所への苦手さ、死にたさに名前がついただけです。

 

気分変調症はなんかうつ病ほど重くないけど何年も何年もずっと気分が落ち込む症状が変わらなく続く病気と思って貰えればよいです。

 

社交不安障害は人前で必要以上に緊張してしまう病気です。電話とか特に苦手でたまに過呼吸起こしたりします。あと外食で手が震えたり汗が止まらなくなったりします。

 

いつもありがとうの人達の中にも障害者となんて関わりたくないって思う人もいるかもしれないので、その方には申し訳ないのですが、出来れば変わらずに仲良くして頂けたら嬉しいです。

 

仕事で出来ることが限られるってだけで、日常生活でサポートが必要な事はあんま無いのでご心配なく、今まで通り普通に遊んでください!

 

一応電車等で人が多くてしんどくなる事があるのでヘルプマークを持ち歩いてはいます。体調が良くない時にしか付けませんが。

 

これを読んで関わるの止めとこうって思う方は全然Xのフォローを外したりブロックしたりして構いません。病みツイ多いですし。

 

でもわたしは自分の生きづらさの証明ができた気がして、少し気分は楽になりました。

 

こんなわたしでも変わらず接してくれるという優しい皆さん、今後とも是非よろしくお願いします。

 

わたしは変わらず、みんなが大好きです!

 

光の無い道

 

助けて。

結局生きてても救いなんてどこにも無い。

助けて助けて助けて助けて助けて

 

そう願ってる時点でわたしは、生きたいのだろうか。

そりゃ救いがあるなら生きたいか。

救いがないから死にたいのか。

 

結局、また仕事を辞めた。

せっかく正社員になれたって言うのに。

この職場なら大丈夫かなと思って職場決めたのに、結局入社すぐに出向。

出向先が耐えられなくて社長に相談したところ元会社に戻れたがまた出向。

給料も一部未払いの状態。更に再びの出向先で適応障害を発症して行けなくなってしまった。

一部未払いの月があった事により前月支払えなかったお金を翌月の給料で払う生活のまま、退職になってしまった。

もう、生きる術がない。

 

諸々申請すれば数ヵ月後にはお金貰えるのかもだけど、今のわたしにお役所行って諸々申請する気力なんざない。

そもそもその数ヶ月を生きるお金すらない。

死にたくて死ぬ事しか考えられないってのに、生きる方法とかお金の事とか本当に考えられない。

 

なんでわたしの人生いっつもこんなんなのかなぁ。

 

どの仕事しても上手くいかない。

在宅の時はある程度落ち着いてたのになぁ。

社交不安障害らしいけど、甘えと障害の境界線が他者には曖昧で、わたしからしても曖昧。

仕事ができない、というか人がいる状態で仕事すると怖くて涙出たり過呼吸起こしたりでダメダメで出来なくて、電車とかもダメで、でも仕事から逃げたいだけの甘えのような気もして。

 

人と関わる事がどんどんダメになってしまって。

外に出るのも億劫だし布団から起き上がることすら億劫。

というか何か考えることすら億劫なので永遠に寝ていたい。寝て全てから逃げている状態。

 

逃げずに向き合えば、光はどこかにあるのかもしれないけど、もう億劫で、疲れちゃった。

生きる事が本当に、疲れちゃった。

 

そのくせ死ぬこともできないなんて最低。

 

宝くじが当たるだけできっと救われるし何も不安じゃなくなるんだろうけど、まぁ年末ジャンボ当たんなかったし。

 

お金さえあれば、どうにかなるんだけど、本当に今日を生きるお金すらなくて、どうしていいか分からない。

実家からお金借りたとて返せる気もしないし、同居の彼氏にも同居してるだけで悪い気がしてしまう。

早く死にたい。

 

傍から見たらわたしの心が辛くて人に頼れないだけで彼氏にも家族にも頼れる状況ではあるから、国の制度が使えない。

 

もう人に頼るしかないのに、頼ることが怖くてそんな事するくらいなら死にたくて仕方なくて、どうしようもない。

 

なんで生きてるの、なんで社会活動出来ないくせにわたしは生きてるの。

 

いっそ全員から見放されて1人で死にたい。

むしろ見放してくれれば生活保護受給できて生きる事もできるのに。

 

こんなの、誰も分かってくれないし、頼ればいいじゃんって、それだけだし。

 

社会的にわたしは金かかるだけで何も出来ないクズなんだから、安楽死させてくれたっていいじゃん。

 

生きてて何も有益なことなんてないよ。

なのに自分じゃ死ねないクズ。

 

誰か本当に、殺しに来て。

 

もうこんな人生終わりにさせてよ。

 

死にたいって思って15年くらいもう経つ。

15年、楽しい事もあったかもだけど、死にたいって気持ちが完全になくなったことはない。

 

きっとこの先も生きてたとしてもずっと死にたいんだろうな。

 

早く死んだ方が楽なのに。

早く終わりにしたいのに。

なんで出来ないの。準備が億劫だから?

刃物で首とか切っとけば死ねるだろうに。

なんでそれができないかなぁ自分。死ねよ。

 

早く早く早くこんな人生終わりにさせて

 

自己肯定

 

お久しぶりです。

 

わたしは今、幸せです。

 

幸せなはずなのに、わたしは、いつまでたっても満たされない。

 

 

仕事頑張って、褒めてもらって、頑張って、、、?

頑張ってるのかなぁ。頑張るってなんだろう。

 

なんか、自分で言うのも何なんだけど、

わたしはなんでも要領よくこなせてしまうタイプで、

大抵の事は初心者でもある程度やれば出来るようになるし、

仕事でキャリアのハンデがあったとしても、

キャリアある人を越せてしまったりする。

 

怒られたことはあまり無いし、今の仕事でもとても褒められる。

 

なのに、安心はするけど、嬉しいかって言われるとそうでも無い気がする。

 

前々職では賞だってもらったのに、

わたしは自分ができない、できてないと

自分で決めつけてそれが真実だと思い込んで、

誰もわたしを責めてすらないのに、

わたしがわたしを責めてわたしを殺そうとした。

 

そんなことの繰り返し

 

結局わたしの敵はわたししかいない。

 

前までだって、今だって、

みんなわたしを褒めてくれるのに、

なにも、なにも、嬉しくない。

 

他人を信じることが出来ないのか、

自分を信じすぎてるからなのか、

 

わからない。

 

誰に肯定されても満たされない、

自分が自分を肯定できない限り

 

それはまるでお金を持ちすぎて価値が分からなくなってる富豪のようで。

 

最低だ。

 

 

 

あぁ、わたしはやっぱり、

不幸な方が似合ってる。

 

 

 

 

2021.7.18

生命の重さ

 

 

わたしの生命の重さは果たしてどれくらいか。

その重さを決めるのはわたしだと思ってた。

今の今までは。

 

 

先日、特別何か大きな出来事があった訳ではないんだけども、仕事の忙しさや日頃のストレスが爆発して死のうと思った。

たまたまその時は心は限界だったけど身体は元気で、"あっこれ今なら死ねるかもしれない"って本気で思えた瞬間だった。

 

わたしが死のうとするのなんて1年に1回くらいのペースである事だから特段珍しい事でもないのだけど、まぁ割と今回は本気だった。

 

死体で発見されても恥ずかしくないように部屋を片付け、ペットにちょっと多めのご飯あげて、家にあった残りの向精神薬とブロン1瓶、プラスに市販の頭痛薬をお酒で全部飲んだ。

ODも初じゃないけど回数を重ねる毎に量と種類が増えてく。流石に今回こそはって思えた。

 

いつもはODしたらそのまま昏睡状態に陥って1日近く眠るのだけど、今回は違った。

吐き気がして朝目が覚めた。覚めた時には、"あっまた失敗した"の感情が第一。その他は何も考えられないままトイレダッシュ。

数年ぶりに吐いた。過食症でありながらも嘔吐恐怖症患ってて何をしても吐けなかったのにあっさり吐いた。

次に出た感情は幸福感に近いものだった。

 

吐ききった後、頭はクラクラするものの割と普通だった。

その次の感情は、"あっこれ今日仕事行けちゃうな"だった。

なんかその時は向精神薬の効果からかあんまり絶望感とか苦しさとかなくて、単純に身体動くし仕事行かなきゃって感じだった。

そして平然と通勤時間に電車に乗った。

電車の中でまた吐き気がして途中駅で降りてまたもやトイレダッシュ。

2度目の嘔吐。これ痩せるなってめっちゃテンション上がった。

流石にこれじゃあ仕事中に吐くかもなと思って休みの電話を職場に入れた。

その日は1日部屋で過ごしたけどそれ以降吐き気がすることは無かったし、体調もそんなに悪くはなかった。

 

翌日、何食わぬ顔で普通に出勤。

体調不良で休んだ為皆に謝罪のひと言だけ言って普通に働いた。

でも、心が追いついていなかった。

これ、このままじゃ、来年も同じ事を繰り返すのだろうな。

仕事しているのは何のためだ?生きる為?死のうとしたのに?死にたいのに?じゃあなんで働く?

ここにいる人達はわたしが死のうとした事など微塵も知らない。昨日はただの体調不良で休んでる。

知って欲しいっていうのも何か違う気がするけど、心が物凄くモヤモヤした。

でも仕事は相変わらず忙しいしみんなそれぞれ大変だし相談なんてできっこない。

結果、休憩時間に職場の相談窓口に電話をした。よく知ってるお姉さんが出た。

泣きながら死ぬ事に失敗したと話して、それを深く受け止めてくれたお姉さんは職場の責任者と話す時間を儲ける事を提案してくれた。

わたしもそうするべきだと思ったし、お願いした。その日はもう帰る?って聞かれたけど前日休んでたし翌日も休日だったので申し訳なくて普通に働いた。

 

その翌日。休日。派遣元から1本の電話が。

この前休んだみたいだけどどうしたの?と。

わたしは派遣社員なので休みの日は勤務先に加え派遣元にも連絡を入れないといけないらしいのだか正直今まで知らなかったし入れたこと無かった。

恐らく責任者が変わって今の責任者の人がたまたま派遣元にもちゃんと連絡入れてくれる人だったから派遣元から連絡が来たのだろう。

その時、普通に体調不良でって言えばよかったんだろうな。何故かわたし全部話しちゃったんだ。

聞いて欲しかったのか。Theメンヘラかよ。。。

派遣元の人は非常に驚いていて、沈黙の後発した言葉は、

「そんな言葉を聞いた後に、じゃあ明日からもよろしくねなんて俺の口からは言えない」と。

翌日、仕事は休みになって話し合いになった。

 

次の日。話し合いの日。

呼び出されて担当の人とカフェに向かい、告げられた言葉は、

「勤務先の責任者の方とお話して、本日付で退職の方向に話がまとまりました」と。

流石に驚いた。そんなつもりはなかった。

確かに仕事は辞めたいなって思ってたし9月末で辞める予定で話はしてたけど、まさか本日付って、挨拶も出来ないままに?

ただ、理由を聞いたら

"君の勤務先の責任者の人と話し合った。

その方もこの話を非常に重く受け止めていた。

流石に死のうとしたまだ若い女の子をそのまま働かせるなんて出来ない。

仕事はあくまで生きるための手段であって、それは命より大切なものでは無い。身体が最優先だ。

もしこのまま、例えば月末まで働くとして、きっと事情を知った責任者は君を気遣うだろう。

そしてきっと君はそれを申し訳なく思うだろう。

それって辛いでしょう。そんな状態で働いていられないと俺は思う。"と。

図星だ。納得たる理由だ。優しさ故の結果。

勤務先の責任者も、目の前にいる担当さんも、派遣元会社も、派遣先の会社も、みんながみんな、仕事よりわたしの命を最優先してくれている。。。

 

わたしは、わたしの命を軽く見ていた。

辛かったら死ぬ、生きるのが嫌なら死ねばいい。その程度に生きてた。

だからこそ生きていけてた。最悪死ねばいいのポリシーの元、生きていけてた。

 

この人達は、この会社は、わたしよりわたしの命を重く思ってくれている。

 

仕事が大変な時期だというのに、わたしの事を一番優先してくれている。

 

即日退社は社会人として非常識であると思うし上層部の方々の手間や現場のシフトの急な調整とか考えると心が痛む。

わたしが、わたしの命を軽く見たせいで、こうなった。

 

わたしは、この事実を重く受け止めなくてはいけない。

わたしは、わたしの命の重さを知り、そして生きていかねばならない。

生きてくって重いんだな。死ぬって重いんだな。

周りの人の優しさで、わたしは初めて気づけた。

 

そしてその翌日。まさに今日。荷物を引き取りに行くのと同時に、ご挨拶に職場に向かった。

現場のスタッフの殆どがわたしが退職する事を知らなかった。

わたしの口から告げないといけなかった。

退職する旨とお礼と謝罪だけ軽くして、後の話は流石に勤務時間に話すのは良くないなと思って、きちんとお話してお礼を言いたいスタッフは個別で連絡を取って会う事にした。

 

即日退社なんて非常識だってのに、それで怒る人などいなかったのだ。

 

わたしは、この仕事が辛かった。業務が辛かった。しんどかった。

でも、人は、みんな、とてもとても優しくて、チームワークってものを知れたし、わたしをチームの仲間に入れてくれたし、わたしは、この職場の人が本当に本当に大好きだった。みんな大好きだった。

沢山飲みにも行った。沢山相談もした。下の名前で呼んでくれたり、実力やわたしの性格までとても理解してくれた。本来仕事上だけの関係だってのに。

1年と9ヶ月。わたしにとっては長かったよ。

こんなにいい環境の職場なんて正直ないだろうと思うくらい、大好きだった。

わたしを目的に、会いに来てくれるお客様もいた。その方に何も言えないまま居なくなるってのも辛いな。

 

あぁ、わたしは、ずっと思ってはいたんだけど、改めて本当に本当に人に恵まれている。

なのに、死にたいとか、現実が嫌だとか、言ってられないじゃん。そんなの、わたしを好きでいてくれてる人がいるのに、もう言ってられないじゃん、、、

 

こんなわたしなのに、必要としてくれた。

好きでいてくれた。

それをちゃんと、今日、実感できた。

ありがとう、そして、本当にごめんなさい。

 

わたしは1週間の休みを貰う後に、リハビリとして接客を離れた単純作業の仕事に就くことになった。

これもわたしの今の状況色々踏まえて出してくれた、最適策。

 

もう感謝してもしきれないでしょう。

 

こんな素敵な場所で生きてて、生かしてもらっていて、死にたいなんて、言えない、もう言えない。

 

感謝と、後悔と、その全てを踏まえて、わたしはもう、生きていくしかないの。

 

 

多分、直接人と話すの苦手だから上手く言えないと思うけど、この感謝を、わたしはちゃんと、直接伝えたい。

きっとすごく泣いちゃうけど、絶対に自分の口から伝えたい。

職場のお世話になった人達1人1人に、きちんと向き合って。話したい。話さなきゃ。

 

新しい人生の1歩を踏み出す前に。

 

 

2020.06.19

My wish...

 

何となくYouTubeを漁っていたらこんなのにたどり着きました。

めっちゃ長いけど見てくれたら本当に嬉しいです。わたしはもっとこの病をみんなに知ってほしいんだ。↓

https://youtu.be/CHYaZW3pyC8

 

実に過程がわたしと似ていてびっくりしました。わたしの人生ほぼこのまんまだったと思って良いくらい。

見ていて過去を思い出して涙が出てきた。

 

 

自分の病気については過去にも何回もブログに書いているのですが、過去の写真も出てきたので写真も交えて改めて。

最近はもうだいぶ調子が良くてほぼほぼ治ってると思ってるから何も考えていなかったのだけど、YouTubeでこれを見つけて見てみたら過去の自分をちゃんと認めてあげたくなって。

 

この人にとっての彼氏さんや認めてくれる友達にあたる存在が、わたしにとった日高さんやFLYERSのみんななんだと思う。

だから、わたしはここまで回復出来たのだろう。感謝しかないです、本当に。

 

 

わたしがダイエットを始めたのは高1の時。

それが高3の夏には35kgほどになってました。

奇遇にもわたしも500kcalを1日の基準にしてました。酷い時は300kcalにしてた。

もしそれを超えたら次の日は完全に食事を断ったし、お母さんが作ってくれた弁当も隠れて捨ててた。生きてること自体申し訳なかった。

 

人は簡単に裏切るけど数字だけは絶対に裏切らないんだよね。だから数字しか信じられなくなるの。

 

拒食症当時、入院は提案されたけどこの人ほど痩せきってはなかったから学校は通っていました。でも保健室登校になりつつあった。

保健室に週1で行き血圧と体重を測っていました。生理ももちろん止まってた。

 

34kg時の写真がこちら

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この頃は周りから見てもだいぶ異常だったと思います。笑えなかったし、話すのも億劫だった。どんどん孤独になってったし、どんどん人といるのが辛くなってった。

 

でもわたしもこの人と同じように、拒食症と診断され病院の先生と親に説得されるとすんなり認めた。すぐ食べるようになった。そしてびっくりするくらいすんなり過食症に移行した。

 

でもわたしは声を大にして言いたい。

 

メディアや病院は死の危険性があるって拒食症を重要視して放送するし心配するけど、わたしは過食症の方が圧倒的に辛かった。

 

知っていますか?拒食症の人より過食症の人の方が死亡率が高いんです。

 

何故かって?

 

拒食症の人は自分に自信をつけるために痩せるの。それが過食症になったらどうなるか。自信をなくすの。自分を認められなくなるの。

拒食症は栄養失調からの死亡の可能性があるのだけど、過食症の人の死亡要因はほぼ自殺なんです。

 

 

わたしは過食症に移行して半年で30kg増えた。

外に出るのも恥ずかしい。でも過食欲に勝てない。

親がいる時には過食できない。だから学校を休んで一人の時間を作り、毎日のように食べ物を身体に詰めた。

冷蔵庫を空にもしたし、ご飯を炊いて炊飯器そのままもやった。

その頃の1回の過食はこんな内容。

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これプラス冷蔵庫のものも詰めてるから普通に3000kcalを1食で取るって感じ。

 

どんどん醜くなる身体に嫌気がさす。生きてること自体に嫌気がさす。毎日のように死にたい死にたいって思いながら食べるの。

罪悪感を消すために、吐けなかったわたしは下剤を使いまくった。腹痛で更に家から出れなくなった。

 

それはそれは地獄でした。

 

その頃の手の写真もあったので、こちら。

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先程の拒食時の時と比べると、手だけでもこんなに違う。30kgの差は大きかった。見える世界が全く違うの。

 

全ての人がわたしを軽蔑してるように思えるの。

みんなに否定されてるように思えるの。

 

親も病院も友達も、太った=治ったと思うから心配なんてしてくれないし、なんなら拒食期が無かったかのように普通に暴言を吐かれる。

 

なんで、人を体型で差別するのだ。何でこんな社会なんだ。

 

全てに対して信じれなくなるし、自分も嫌になるし、死ぬこと以外考えられなくなる。

 

死にたい、死にたい、死にたい。

 

救いのない気持ちをさらに食べ物にぶつける、負のループ。

食べ物以外の救いを見つけない限り終わらない。

 

そこで見つけた救いが、わたしにとっての音楽であった。

音楽との出会いが、日高さんとの出会いが、わたしをここまで地獄から引っ張り出してくれた。

 

 

 

拒食症と過食症、まとめて摂食障害と呼ぶのだけど、種類も原因も人によって本当に様々。だけど根本は認めてもらいたいって気持ちであることは確かだと思う。

 

もし周りに摂食障害の方がいたら、そのままでいいって、そのままを認めてあげてほしい。

 

もしあなたが自分の体型で悩んでいるのであれば、過度なダイエットは人生を崩壊させる。やめた方が良い。するとしても現実的な目標を絶対に決めてね。

 

もしあなたが摂食障害の子の親であるなら、絶対に自分を責めないでほしい。

摂食障害になる要因で大きいのが親との関係性と言われるから母親は特に自分を責めやすくなる。でももし万が一本当に親が原因だったとしても、それはあなたの一言で修復できることなんです。摂食障害の子は全てを自分のせいだと思ってると思う。自尊心が極めて低いんです。そこを認めてあげるだけでいいんです。自分を責める必要なんて全くない。自分のせいだと思うのであればごめんねと一言言うだけでいいんですよ。あとは頑張ったねでいいんです。

 

 

長々とすいません。

とにかく、知って欲しかった。

 

わたし達のことを。

 

食べて吐いて死にたいのに贅沢病だなんて言われて周りから非難されて、誰かひとりでも認めてあげるだけでいいの、認めてくれるだけでいいの。

 

 

知っていて、欲しいんです。

 

 

 

 

長文ごめんなさい、読んでくれて本当にありがとう。

"何も出来ないのはもう嫌なんだ"

 

 

高校を卒業し大学に入るも半年で通わなくなり今に至るまで、わたしはずっと逃げてきた。

 

何も知らなかった、何も考えたくなかった。

多分その当時はただ精一杯だったから大学に行けなくなったのだと思う。

 

あの頃の自分には、"死ぬこと"しか見えていなかった。

 

20歳まで生きるつもりは無かった。

それは中学生くらいからずっと思ってた事だったと思う。

 

だから大学を辞め、自由に、バイトやりつつライブ行って旅行してそんなこんなで20歳になってしまって、そこでようやく未来が見えた。

"これからも死にたいと思いつつなんだかんだで生きてしまうんだろうな"っていう未来が。

 

 

そう思うまでにもすごく時間がかかった。

ライブ行ってたくさんの経験を得て、たくさん素敵な言葉を貰って、友達もたくさん出来て、色んなところに行って、そうしてるうちに段々心も成長していって、少しだけ前向きに生きれるようになった。

 

だから20歳になった時には、人生に対してもう後ろ向きではなかったと思う。

 

 

そして今年。

 

SKY-HIのライブ、そして秀太くんのライブ、それぞれで言われた"背中を押す"という言葉。

 

その言葉に背中を押されてわたしは今年、ミスiDに応募した。

以前のブログはその話↓

 http://skmaaalice.hateblo.jp/entry/2018/04/26/022421

 

デブスのわたしが受かるはずないと思いつつ、ほんの少しの希望をかけて、応募した。

写真嫌いのわたしが宣材写真なるものを撮ってもらったり、少し自撮りをしてみたり。

それはそれは嫌だったし、自分の顔を見る度に何でこんなデブスが…って何度も思った。

 

でも、少しだけ、楽しかったんだ。

生きてるって、感じがしたんだ。

 

 

案の定、書類選考で落ちたのだけど、小林さんや吉田さんのツイートを見て反省点も見つけたし、来年も応募しようかなと思った。

 

それと同時に、"新しい事を始める"楽しさ、そこから得る経験、成長を知った。

 

 

今なら自分は何だってできるのでは。挑戦するだけならタダだ。生きてるうちにやりたい事全部やろう。そう思えるようになった。

 

 

本当にやりたい事、これからなりたい未来、それが夢物語じゃない事、もしかしたら出来るかもしれないという希望、それが見えるようになった。

 

 

高校を一緒に卒業した周りの友達は皆大学生で今年4年。次々と就職が決まってる。

わたし1人、ここに立ち止まってるわけにはいかない。

 

 

そう思って始めた就職活動。この前初めて1社応募して面接の日程が組まれた。

高卒にしては、レベルがとても高い会社だと思う。

 

でも、目標が高ければ高いほど楽しいことを知ってしまった。

怖いけど、もう怖がってるだけの自分ではない。

 

 

そしてペットを飼うことにした。

昔うさぎを飼ってたことがあったが、病気で亡くしてしまった。わたしがまだ中学生の頃だった。

完全に、わたしの責任だったと思う。世話する!って買ってもらって、殆どお父さんに任せきりだった。

亡くなってからすごく後悔して、命を大切にしなかった自分が嫌になった。当分ペットは飼いたくないと思った。

 

でも、今なら出来ると思った。

何より、ひとりは不安だった。

 

ずっと一緒にいてくれる子がいれば、頑張れるかなって、思った。

 

 

就職活動と新しく来るペットのお迎え準備とで毎日非常に忙しい。

でも、この上ないくらい充実してると思う。

 

こんなのは、学生以来だ。

あぁ、今なら、みんなと同じ土俵に立てる、そこまでわたしは復活することが出来たんだ。

 

 

大学を辞めてから逃げ続けてきた日々は、決して無駄なんかではなかった。

 

 

むしろ大学に通う友達より、色々な経験をし、色々な出会いをし、色々な世界を見てきたと思う。

何より、自分の事を大切に思ってくれる仲間がいる。それが本当に何より強い。

 

 

就職、決まるといいな。

 

そうしたらそのお金で機材を揃えて、いつかこんな気持ちも曲にするんだ。

 

 

そしていっぱいいっぱい、お世話になったみんなに恩返しするんだ。

 

 

"何もできないのはもう嫌なんだ"

 

これはわたしの愛する漫画、東京喰種の主人公カネキの言葉。

 

 

逃げる事は悪い事ではない。逃げたからこそこうやって今がある。逃げたからこそ逃げない勇気ができたんだ。

 

だからこそもう、何も出来ないのは嫌だ。今の自分ならきっと、出来るはずだから。

 

頑張る。頑張れ。頑張ろう。

 

 

 

 

 

2018.07.26

 

夜中の独り言

 

 

今日は少し特別な用事があった。

 

それは去年、やりたかったけど今のわたしには無理だと諦めた事。

少し成長したわたしが初めて挑戦した事。

将来の夢に向けた1歩目の、さらに1歩目。

 

 

それを一応、成し終えた訳だけど、正直1歩目どころかまだ半歩しか進んでないのに既に戻りたい気持ちでいっぱいになってしまった。

 

 

わたしの中のMWツアーを終えて、秀太くんのライブも終えて、2人の口から出た言葉は大体似たようなニュアンスで。

2人とも"背中を押してあげる"って言ってくれた。

 

大好きな2人からそう言われたら、前に進むしかないなって、去年やり損ねた事を挑戦しようって気になった訳だけど、前に進もうって気持ちだけで実際の自分って何も変わってなくて。

 

気持ちは充分だった訳だけど、技量が足りてなかった。そんな所だろうか。

 

一気に自信を喪失してしまった。

 

 

自分はどうしてここまで自信が無いのだろう。

正直これは、自尊心さえあればどうにかなる話。

ただ、それを身につけることの難しさたるや。

 

 

わたしの誇れるものとは何だろう。

わたしが他人に負けないものとは何だろう。

 

この夢を志す上で考えた結果、それは"言葉"だと思った。

 

わたしには何も無い、でも言葉だけは褒められる事が多かった。

1番誇れるものではないかと。ガッツリ理系だったけど。

 

言葉を誇りに夢への1歩を踏み出してみた訳だけど、武器はそれだけでは足りなくて。

 

 

"やりたい事を成し遂げるためにはやりたくない事もやらなければいけない"

 

 

その壁にぶち当たってしまった。

 

1番最初っから1番苦手な試練であった。

 

言葉以外誇れるものがない。そう、中身しか誇れないから、外見だけを写すものが苦手で。

 

自分の外見を見ては自信を失くす事の繰り返し。

ずっと、それは今までもずっと、そうだった。

 

どんなに外見関係ない事でも、外見だけを気にして何も出来なかった。

学校すら行けなくなった。

 

 

自分はどうしてここまで自信が無いのだろう。

 

どうやったら自尊心って身につくのだろう。

 

 

 

…夢って、足りないものを埋めるために願うのだろうな。

 

幸せになりたい、他人を幸せにしたい、そんな夢を持つ者は幸せではないからそう願うのであろう。

 

 

"要らないぜ完璧なんて どうせ人間死ぬまで未完成"

"だけど人はきっと欲深いものだね もっともっと欲しくなる"

 

 

完璧な人間になんて絶対になれないのに、人は1つ満たされてはまた次の欲が出る。

永遠に完璧を追い求める、まさに"生きる屍"である。

 

自分に完璧な自信を持つ事。それは完璧な自分にしかできない事。

完璧な人間なんていないのだから、人は皆自信がなくて当然なのであろう。

 

 

完璧じゃなきゃ前に進めないなんて、そんなんじゃいつまで経っても止まったままではないか。

 

だからこそ2人は、"背中を押してあげる"って言ってくれたのだろうな。そのままでも進めるよって、言ってくれたのだろうな。

 

 

自信なんか無くてもいい。前に進む勇気さえあれば。

 

 

 

文字にしてみたら少しだけ気持ちが楽になったよ。

 

文字にして気持ちが楽になるなんて、最初から敵は自分しかいなかったのだろうな。

周りからの目線なんて、そんなの敵じゃないんだろうな。

 

 

結局全て自分との戦い。

 

でもこの戦いを、本来ならわたしの中だけの戦いを、文字にする事で、誰かが見てくれてるって事だけで、少しだけ、楽になれる。

承認欲求ってやつ。阿呆らしいね。

他己評価なんて信頼ならないのに。

 

 

他人を考え、尊重する事は大事だけれども、それと同じくらい自己も尊重すべきなのである。

他人に意志を委ねるだけの人生なんて、勿体無いだろう。

 

 

……いや矛盾してるね。そうだよね。

自己を大事にとか言っときながら他人の目ばっか気にしてるのはわたし自身。

それで進めないのもわたし自身。超ブーメラン。

 

でもきっと、わたしだけじゃないはず。

 

これを見ている君の心にも、矛盾して、対立しているもう1人の自分がいるはずだ。

 

 

どちらも同じ自分であると、受け入れる事が大事なのであろう。

 

 

この世には間違いなんて何一つない

 

全てを肯定して生きようではないか

 

 

 

 

 

あー思った事思うがままに書いたら本当に楽になった。

 

文章はちゃめちゃだよね、誰かがもしかしたら見るかもしれないっていう夜中の独り言だから許してください。笑

 

 

君の未来に幸あれ。そして、わたしの未来にも幸あれ。